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Bunkamura ザ・ミュージアム
Bunkamura ザ・ミュージアム
〒150-8507 東京都渋谷区道玄坂 2-24-1


国立トレチャコフ美術館所蔵

レーピン展

ILYA REPIN:
Master Works from The State Tretyakov Gallery


文学ではトルストイやドストエフスキーといった文豪を、音楽ではチャイコフスキーやムソルグスキーといった作曲家を輩出した19世紀後半から20世紀初頭のロシアでは、美術の分野でも才能ある多くの画家を世に送り出しました。なかでもロシア革命に至るこの激動の時代を生きた写実主義の画家イリヤ・レーピン (1844-1930) は、近代ロシア絵画の旗手として活躍し、数多くの名作を残しました。当時の進歩的グループ 「移動派」 に加わり、社会的矛盾を鋭く捉えた作品や、革命運動をテーマにした衝撃的な作品を発表する傍ら、ロシア民族精神を鼓舞する歴史画の大作や、深い洞察力で文化人等の肖像画の傑作を描いた画家としても知られています。また一方で、妻や娘など身近な人々を描いた心温まる作品にも注目したい画家です。

移動派とは・・・1870年サンクト・ペテルブルクで画家クラムスコイらは、制約の多い美術アカデミーのやりかたに抗議し、自由な考え方の前衛芸術家グループ「移動展覧会協会」を発足させた。帝政ロシア各地を移動して展覧会をした彼らは「移動派」と呼ばれた。その全盛期は1870年代から90年代で、19世紀の後半において移動美術展覧会協会が国民芸術の発展に果した役割は極めて大きい。

国立トレチャコフ美術館は、紡績工業で財を成したパーヴェル・トレチャコフ(1832-98)によって創設された美術館である。20世紀初頭には、古代ロシア建築様式の美しいファサードが画家ワスネツォフによって設計され、トレチャコフの邸宅を含む美術館の建物が建て替えられた。また、ロシア革命後の1918年に国立トレチャコフ美術館と改名。海外作品はプーシキン美術館とエルミタージュ美術館に移管され、ロシア美術だけを扱うようになる。現在美術館には中世のイコンに始まる10万点を超える作品が所蔵されている。


会期: 2012 8/4(土)〜10/8(月・祝)
巡回展は終了しました。
開館時間:10:00―19:00 ※入館は18:30まで
夜間開館:金・土 10:00-21:00 ※入館は20:30まで
開催期間中無休
会場:Bunkamura ザ・ミュージアム
(渋谷・東急本店横)

巡回先:浜松市美術館.............................2012 10/16〜12/24
      姫路市立美術館.........................2013 2/16〜3/30

    神奈川県立近代美術館 葉山館..2013 4/6〜5/26


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「国立トレチャコフ美術館所蔵 レーピン展」プレス内覧会

「国立トレチャコフ美術館所蔵 レーピン展」
Bunkamura ザ・ミュージアム

プレス内覧会 8/3 '2012



近代ロシア絵画の巨匠、 イリヤ・レーピン 日本初の本格的回顧展

【展覧会の構成】

本展は、ロシア美術の殿堂であり世界最大のレーピンのコレクションを誇るモスクワの国立トレチャコフ美術館の収蔵品により、画業の初期から晩年に至る様々なジャンルの油彩画と素描、約80点により構成される、日本における過去最大の本格的な回顧展です。

T 美術アカデミーと 《ヴォルガの船曳き》

T 美術アカデミーと 《ヴォルガの船曳き》 ―1864年春に20歳で帝国美術アカデミーに入学、絵画技法を基礎から専門的に学ぶ。―
美術アカデミーで常にトップクラスの成績で、大小の金銀メダルを受賞。在学中レーピンの主な関心は市井の人々の生活の実像にあった。「船曳き」の主題制作は、現地取材した成果に、ヴォルガ川の社会の最底辺にある人々と知り合になったこであった。
イリヤ・レーピン 《ワシーリー・レーピンの肖像》 1867年
油彩、キャンヴァス 85.5 x 67.8cm (右下に署名と年記)
国立トレチャコフ美術館所蔵 ©The State Tretyakov Gallery
音楽家となる弟ワシーリー・レーピン (1853-1918) は、サンクト・ペテルブルク音楽院で教育を受けた。


U パリ留学:西欧美術との出会い

U パリ留学:西欧美術との出会い ―美術アカデミーの給費生としてヨーロッパを旅行し、パリで3年間滞在したことで、新境地が開かれた。―
1873年秋、妻ヴェーラと幼い娘とでパリのモンマルトルに部屋を借りた。レンブラント、ハルス、ベラスケスなど、自由奔放なタッチ、大胆かつリアルな描写とモデルの内面に達する慧眼、鋭敏な調和感覚、色彩の繊細さと豊かさでレーピンを魅了した。
イリヤ・レーピン 《幼いヴェーラ・レーピナの肖像》 1874年
油彩、キャンヴァス 73.0 x 60.0cm (左下に署名と年記)
国立トレチャコフ美術館所蔵 ©The State Tretyakov Gallery
長女ヴェーラ・レーピナは、絵画、音楽、演劇など様々な芸術分野に関心を持ち、後に舞台女優となった。


V 故郷チュグーエフとモスクワ

V 故郷チュグーエフとモスクワ ―故郷チュグーエフでは、自然で活気ある人生を生きている人々 、彼の創造は「芸術の徳」の宝庫「辺鄙な田舎」であった。―
故郷の単純な生活を営む素朴な人々の暮らしの主題だった。友人の画家たちと同様に、モスクワに居を構えた。中世ロシアの面影を残すモスクワの街並みや暮らしの様子はロシアの歴史や過去に対するレーピンの関心をかきたて歴史大作の大筋を構想し着手した。
イリヤ・レーピン 《あぜ道にて―畝を歩くヴェーラ・レーピナと子どもたち》
1879年 油彩、キャンヴァス 61.5 x 48.0cm (左下に署名と年記)
国立トレチャコフ美術館所蔵 ©The State Tretyakov Gallery
フランスのモネやルノワールによる印象主義の外光派への傾倒の比較を、彼自身による範疇で創作してきた。


W 「移動派」 の旗手として:サンクト・ペテルブルク

W 「移動派」 の旗手として:サンクト・ペテルブルク ―1878年移動美術展覧会協会の会員(移動派)になる、常に大きな期待が寄せられ、注目の的となった。―
1882年の秋、サンクトペテルブルクに移り、以後レーピンの旺盛な創作期が始まる。移動美術展覧会に欠かさず出品し、僻地の芸術生活を活性化する目的をかかげ、ロシヤ各地の巡回展にも進んで作品を出し、才能の点で、主導的な地位を占めていた。
イリヤ・レーピン
《ワルワーラ・イスクル・フォン・ヒルデンバンド男爵夫人の肖像》
1889年
油彩、キャンヴァス 196.5 x 71.7cm (左下に署名と年記)
国立トレチャコフ美術館所蔵 ©The State Tretyakov Gallery
ローマ駐在ロシヤ大使イスクル男爵夫人を高雅で、威厳に満ち、やや気取った表情、そのすべてが社交界の華を彷彿させる。


X 次世代の導き手として:美術アカデミーのレーピン

X 次世代の導き手として:美術アカデミーのレーピン ―「理想的な高みに達し、自然の調和を理解」することを目指す巨匠の向上心が若い画家たちとレーピンを近づけた。―
1894年から美術アカデミーで教鞭をとり、絵画アトリエを主宰する。巨匠に師事したい志願者が絶えなかった。新しい運動や現象、新しいフォルムと新機軸の探求を受け入れる懐の深さ、レーピンの個性と才能は若い画家たちに多大な影響を与えた。
イリヤ・レーピン 《ナターリヤ・ノルドマン=セーヴェロワの肖像》 1910年
木炭、チョーク、水彩、紙 33.0 x 24.7cm (中央下に署名と年記)
国立トレチャコフ美術館所蔵 ©The State Tretyakov Gallery
レーピンの2度目の結婚相手である作家ナターリヤ・ノルドマンは、画家がペナーチで仕事に集中できるよう、静穏な暮らしのため世話を一手に担っていた。


国立トレチャコフ美術館キューレター:スヴェトラーナ・カプィリナ氏
国立トレチャコフ美術館 ロシア美術部門 19世紀後半〜20世紀初頭専門
キューレター スヴェトラーナ・カプィリナ氏

画家 イリヤ・レーピン (1844-1930)
略 年 譜

1844年(0歳) ウクライナのチュグーエフで屯田兵エフィーム・ワシリエヴィチと妻タチヤーナの間に長男として誕生。
1854年(10歳) チュグーエフの軍事地形測量学校に通い、製図とドローイングを学ぶ。
1857年(13歳) 地元のイコン画家イワン・ブナコフの下で学ぶ。
1864年(20歳) 画家イワン・クラムスコイと知り合う。9月、美術アカデミーに正式に入学。
1871年(27歳) 《ヤイロの娘の復活》 で美術アカデミーの大金メダルを獲得、海外留学権を得る。評論家スターソフ、作曲家ムソルグスキーらと知り合う。
1872年(28歳) ヴェーラ・シェフツォーワと結婚。長女が誕生。
1873年(29歳) 美術アカデミーの展覧会で 《ヴォルガの船曳き》 が称賛を浴びる。家族と共に3年間の西欧留学に出発。
1874年(30歳) 第3回移動美術展覧会に出品者として初参加。
1876年(32歳) ロシアに帰国。サンクト・ペテルブルクに短期間滞在した後、チュグーエフに移る。
1877年(33歳) モスクワに移る。
1878年(34歳) 移動美術展覧会協会員になる。
1880年(36歳) 作家レフ・トルストイと知り合う。
1882年(38歳) サンクト・ペテルブルクに移る。
1887年(43歳) 移動美術展覧会を脱会するが、出品者として参加は続ける。
1891-92年(47-48歳) サンクト・ペテルブルクとモスクワにおけるレーピンの大規模な個展の成功。
1894年(50歳) 美術アカデミー付属高等芸術学校の指導員に着任。
1898年(54歳) 美術アカデミー付属高等芸術学校校長に就任。
1899年(55歳) クオッカラ(当時ロシア)に移る。「ペナーチ」と名付ける。
1905年(61歳) 美術アカデミー希望退職。
1917年(73歳) サンクト・ペテルブルクにてレーピン芸術活動45年の祝賀会が行われる。
1930年(86歳) 9月29日逝去。クオッカラ(フィンランド)のペナーチに埋葬される。

19世紀絵画の巨匠イリヤ・レーピンは、ロシアで最も著名かつ人気のある画家のひとりであり、同時代に活躍したトルストイ、チャイコフスキー、チェーホフ、シャリャーピン、ゴーゴリといった文化人たちと並び称されている。レーピンが生きた時代のロシア、矛盾と多面性をはらんだその全容、過ぎ去った時代の深遠なドラマ、そのスケールの大きさ、そしてロシア絵画における意義と後世に与えた影響からみて、レーピンはトルストイに比肩しうるといってよい。没年86歳。すべてを芸術に捧げ、たゆむことなく画業に明け暮れた大いなる生涯であった。


お問合せ:03-3477-9413
美術館サイト:http://www.bunkamura.co.jp/
主催:
Bunkamura ザ・ミュージアム
後援:ロシア連邦外務省、ロシア連邦文化省、在日ロシア連邦大使館、
ロシア連邦文化協力庁、ロシア文化フェスティバル組織委員会
協力:日本航空
企画協力:アートインプレッション


参考資料:Press Release、カタログ「レーピン展」、他。
※写真撮影の掲載等、主催者の許可を得て行っております。

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